迷って、決めて、生きて、幸せ。

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人間交差点」ってステキな表現だと思う。

 

あんまり個人情報を晒したくない、

チリアクタです。

 

ブログやってる時点で個人情報もクソもないな…。

 

 

ということで、お金欲しさにお題にチャレンジします。

 

 

ちょっとポエミーにつき、気持ち悪さ注意。

 

 

俺は結構迷うタイプだ。

お菓子やカップ麺、パンを選ぶのにも5分以上はかけてじっくり選ぶ。

 

しかし、大きな決断や、今後に関わる決断に関しては即決する傾向がある。

何を隠そう、めんどくさいからだ。

 

パッと考えて、「俺向きじゃない」と思えば、その道を選ぶことはしない。

 

 

 

 

だから俺は、高卒だ。

 

 

 

今の時代、大学までが義務教育だと勘違いしている人間が沢山いるし、それが間違いじゃないこと、むしろ自分にとってプラスに働くことはわかる。

 

でも。

何十万という大枚を叩いて、やりたくもない勉強をやりたくないままやり、借金や奨学金に頭を悩ませながら大学生活なんて送れないと思った。

 

 

公立高校ではありながら、私立大学を目指す人間が多かった(あまり出来のよろしい学校ではない)ので、俺のような就職組は異端だった。

 

今でこそ民間就職をしているが、本来は公務員志望だった。

多分、同じ経験をしてる人はたくさんいると思う。

 

高卒公務員。

  • 安定
  • 高給取り
  • 税金

 

などなど。生業として考えるなら一番堅実な生き方だと思う。

 

正直公務員になりたかったに決まってる。

胸を張って仕事をできるし、親や兄弟、友人たちに自慢できる。

もちろん落ちたが、当時は正当化しようとあれこれ理由をつけてた。

 

ただ、この先どうするのかは何も決まってなかった。

 

  • 公務員専門学校へ行く
  • 大学に滑り込む
  • ニートになる
  • 民間就職する

 

自ずとこの四つの選択肢が目の前に現れた。

その中で唯一、他人に迷惑をかけず、俺程度にふさわしい選択が民間就職だった。

 

ここまでで俺はたくさん決めた。

 

大学に行かない。

もしかしたら生涯年収が数億円単位で変わっていたかもしれない。

もしかしたらロクに就職もできず、大学卒業後ニートになってたかもしれない。

もしかしたらいまと変わらないかもしれない。

 

公務員になる

もしかしたら国が財政破綻するかもしれない。

もしかしたらリストラされるかもしれない。

 

民間就職する

もしかしたらリストラされるかもしれない。

死ぬかもしれない。

ブラック企業かもしれない。

 

後悔はしてないとか、それでよかったと思ってる、そんな言葉は綺麗事の正当化で、正直今でも迷ってる。

 

本当にこれでよかったのか?

 

これがやりたかったことか?

 

人生をかけての決断をすることができたのか?

当たり前のようで、当たり前じゃない。

 

小学校から高校までの12年間。

先人曰く、自らの夢を見つける期間こそが、勉強に打ち込む時間なのだそうだ。

つまり夢を見つけられない人は大学まで行ってようやく、一つ夢を見つけられるのだ。

 

勉強は夢を見つける間の暇つぶし。

暇つぶしの中に夢を見つける人もいるし、そのほかで見つける人もいる。

 

俺は、小説家になりたい。

この夢は本当に誰にも明言してないし、そもそも恥ずかしくて今まで隠してきた。

 

ただ、絶望的に続かない。

一つの物語を考えるうちに全く別の物語が頭に浮かんできてしまう。

今は半分挫折しながら色々試行錯誤中だ。

 

 

話が逸れたが、俺はやりたいことを生業にしたわけではない。12年で見つけた答えは、「定職にしがみつき、小説を書いていく」だ。

 

もちろんこの答えを現実にするにはもっと別の道があったと思う。

ただ、それが過去の俺が出した答えだから。

自分で決めてしまったことだから。

感覚は薄いが、人生は一度きりなのだ。

今日という日が今日限り、そう考えるのは当たり前だが、当たり前じゃない。

 

今日が来れば明日が来るし、今日は昨日になる。

昨日の決断が俺を作るし、今日の決断が未来の俺を作る。

その連続が人生であり、大きな決断も小さな決断も、結局は俺という人間を作る要素の一つだ。

 

散々迷った。

でも、突き詰めればやりたいかやりたくないか。

やれるのか、やれないのか。

 

きっぱり言えば

 

勉強(金にもならない、自分の夢にも関係ない)はやりたくない。

 

ガチガチに縛られて生きたくない。

 

優劣のない世界で生きたくない。

 

それが今現在の俺の気持ちだ。

 

 

 

 

一つだけ、確かなこと

 

俺は今生きている。

散歩や運転、日常の何気ない一コマの決断が、俺を生かしている。

今まで何度でも死ぬチャンスはあった。

一つの選択が死を招く機会はあった。

 

ただ俺は間違えてない。

故意に間違えることもしてないし、

過失も今の所ない。

 

勘違いしないで欲しいのは、自殺を悪いといってるわけじゃないことと、推奨しているわけでもないってことだ。

 

 

いじめ=自殺と決めつけて話すことを許してくれるのであれば、以下に書き示すが、そもそも何様だ、お前は!と思う方もご一読の程。

 

 

 

俺もいじめられたことがある。

それはいじりが発展していじめになるタイプで、学校の空気を壊したくない俺は耐えてた。

「俺がいじめられることで、雰囲気は明るい」

「ここで俺が泣いたり、喚いたりすればみんな嫌な気持ちになる」

そんなことを考えて学校へ通っていた。

 

ある日、ズル休みをした。

翌日以降、学校へ行く気は起きなかった。

幸せを感じたからだ。

家で家族に愛されて、それがたまらなく優しく、辛かった。

いじめられてる、そう言い出せない。

いじめだと思ってるのは俺だけかもしれない。

 

 

しかし、母にはすべてお見通しだった。

いじめられてると認めた後の俺はスラスラと話した。

1番の友人が俺に暴力を振ること。

文房具を壊されること。

クラスの人気者のいいなりになっているこ。

それと個人的に気にくわない人間と、嫌な奴の名前もあげた。

後者二つに関しては、今になって後悔している。

全く関係ないと言ったら嘘だが、実害があったわけじゃないのだ。ただ気にくわない。

うるさいし、悪口言うし。

そんな理由で吐き出した言葉は、学校で返ってきた。

 

 

数人の生徒指導担当が俺をいじめた人間を一人ずつ呼び出し、謝罪を行わせた。

 

そして彼らとの距離はその日以降離れっぱなしなのだ。

 

 

俺が迷わず、後先考えず、勝手気ままに被害者面をしたことで起こったことだ。

 

当たり前だ。

でも、当たり前じゃない。

 

どうにかすることはできた。

謝罪を受けた後でもどうにでもできた。

 

 

でも俺はいっときはそいつらの為に死ぬことも考えた。

一生をかけて、自らの罪を償え。

そう思ってた。

人間関係を代償にし、俺は自分の命を救えたのかもしれない。

もちろんそんなことしなくても自殺する度胸はないのだが。

何が起こるのかわからない。

生きてる限りいいことも悪いことも、運や行い関係なく、まばらに訪れる。

 

 

だが、自分で決められることはどうにかできる。

自分の幸せにつなげることができる。

 

生きてる限りそのチャンスはあるかもしれないし、ないかもしれない。

 

絶対に幸せになるチャンスがなければ死ぬという選択肢もある。

 

俺の中で自殺してもしょうがないと思う基準がある。

  1. 今後の自由が絶対にないこと
  2. 人間としての尊厳、男性女性としての尊厳を永遠に失われる状況にあること(監禁など)
  3. 頼れる人が(方法が)ないこと
  4. 本人がそれを一番望むこと

 

上全てに当てはまることはそうそうない。

監禁とかは自殺しても(語弊があるが)しょうがない状況だと思う。

 

 

ただ、いじめなんてのはどうでもいいと思う。

そいつらが将来偉くなったって、自分がその時ニートだって、どっちでもいいと思う。

 

見返すとか、親に苦労かけたくないから、いじめっ子が怖いから。

そう言う理由で学校に行く必要は無いと思う。

 

苦しいなら、迷ったら、楽な道を選ぶべきだ。

 

こう言う議論は

「いじめっ子が学校へ行っていじめられてる人がいけないのはどうかと思う」そう言う疑問が湧く。

確かにそうだ。

もちろん逆の論調を取る人もいるだろう。

 

しかしだ。

なぜ小学校には停学や退学がないのだろう?

なぜ罰則がないのか?

大学には自治権が認められていると言うのに、良識ある大人が規則に縛られ、残酷で無邪気な子供たちに規則がない。

大人たちの怠慢でもある。

 

 

いじめ=悪という構図を知らせる為には、罰が必要だ。もちろん体罰支持者ではないが、体罰を受けるに値する人間はいると思う。

 

いじめたら留年。

いじめをしたら、昼休み無し。

いじめたら、停学、晒す。

 

それくらいのことをしてもいいと思う。

もちろん、小学一年生にそんなこと言ってもしょうがないが、そこは親の手腕だろう。

 

かつての子供は親や教師に打たれるから覚える。

今の時代殴る親も、叩く教師もいない。

 

ならばもっと精神的に、暴力ではなく罰則をもって罪を贖うべきだ。

 

自分の犯した罪と罰があってないのだ。

口頭で注意。

それを陰で馬鹿にする子供。

 

 

 

…結局何の話をしてたのかわからなくなってしまったが、迷ったら楽な道を、その気になったら険しい道を、生きてる限り幸せなのだから。

 

 

 

 

そして、日々の生活で決める一つの決断が、一つの人生を作り出す。

未来へつながる決断を。